
1876年11月に雄踏の浅羽で鍛冶屋をしていた仙蔵のもとにうまれた仙一郎は、早くに両親を亡くし、弟の佐治郎とともに独学で小学校の先生になりました。後に町会議員を経て、1927(昭和2)年より県会議員、1936(昭和11)年に衆議院選挙に当選してから3期代議士をつとめました。同じ党に所属していた津倉亀作氏と並び、「浜松に津倉あれば浜名郡に坂下あり」と呼ばれていた、と書籍に記されています。1932(昭和7)年より1944(昭和19)年までは雄踏町長を兼任。町民とよく話しあうという彼の活動は町民から絶大な支持を得ていました。当時の町民は氏をこぞって応援し、近隣の町村の人たちには「雄踏町の町長は代議士さまだ」と鼻を高くして自慢したといわれています。同時代の山田谷吉氏らの功績とともに、この年間に雄踏町の基礎が作られました。 また、大正末期に静岡県西部では初となるバス会社・坂下自動車商会を設立。国から免許を得て雄踏−浜松や浜松−西鹿島などでバスの定期運行を開始すると、当時すでに浜松−西鹿島間で鉄道を運行していた遠州電気鉄道(株)とすさまじい旅客争奪戦を繰り広げました。 昭和4年に笠井自動車商会などと共に浜松自動車(株)(本社浜松市田町)を設立、社長に就任して本格的にバス事業に乗り出しました。その後バス会社は乱立しますが、浜松自動車はとくに収益状況がよく、成長していきました。昭和18年、国策により浜松自動車が遠州電気鉄道(株)をはじめとする浜松のほかのバス・鉄道会社5つと合併、また同時に別の5つの会社を買収し、統合して遠州鉄道株式会社ができると、初代の副社長に就任しました。 雄踏からは浜松などで活躍した多数の事業家や企業経営者が出ていますが、氏は雄踏で生まれた、最も成功した事業家といえるでしょう。雄踏町のみならずこの地方の経済が、交通機関の発達によって大きく発展していったことは氏の功績のひとつです。その他いくつかの会社設立にも携わり、日本乗合自動車協会理事、浜名郡養鶏組合長、浜名郡農会長などのさまざまな役職もつとめ、1947(昭和22)年、70歳で没しました。 |
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